横浜共立学園は、1871 (明治4)年、米国婦人一致外国伝道協会から派遣された3人の女性宣教師、プライン、クロスビ一、ピアソンによって設立されたアメリカン・ミッション・ホームを起源とする、プロテスタント・キリスト教による女子教育機関です。
女性宣教師たちは、当時、人々にかえりみられることが少なかった女子の能力を高く評価し、全力を尽くして教育にあたりました。
学園の教育の根底にあるもの、それは「ひとりの人間を無条件に尊重し愛する」というキリスト教精神です。
「主を畏れることは知恵のはじめ」(簸言1章7節)「心を尽くし、精神を尽くし、カを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」(ルカによる福音書10章27節) という聖書の言葉を根幹に据え、キリスト教に基づく価値観を基本にしています。
一人ひとりが神に愛されていることを受けとめ、それに基づいて豊かな人間性を備え、隣人に仕え、世界の平和のために貢献する女性の育成を目指しています。
学園の歩み | |
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1871(明治 4)年 | 米国婦人一致外国伝道協会より宣教師として派遣されたプライン、クロスビー、ピアソンが来日し、横浜山手48番に学園の前身であるアメリカン・ミッション・ホーム(亜米利加婦人教授所)を創立。女子教育および混血児養育を開始。 |
1872(明治 5)年 | 山手212番地(現在地)に移転。 校名を日本婦女英学校と改称。 |
1875(明治 8)年 | 校名を共立女学校と改称。 |
1881(明治14)年 | ピアソン・偕成伝道女学校を設立。 |
1891(明治24)年 | 混血児養育施設を閉鎖。 |
1907(明治40)年 | 偕成伝道女学校を共立女子神学校と改称。 |
1923(大正12)年 | 関東大震災により共立女学校が全焼。 |
1931(昭和 6)年 | 創立60周年。W.ヴォーリズ設計の本校舎(現存)と体育館竣工。 |
1932(昭和 7)年 | 財団法人「横浜共立学園」設立。 |
1937(昭和12)年 | 米国婦人一致外国伝道協会より経済的に独立。 |
1943(昭和18)年 | 共立女子神学校、日本女子神学校へ合同。 |
1945(昭和20)年 | 戦災により校舎焼失、本校舎のみ残る。 |
1946(昭和21)年 | 私立学校における宗教教育、宗教儀式の回復。 |
1947(昭和22)年 | 学制改革により中学校を設置し、校名を横浜共立学園中学部と改称。 |
1948(昭和23)年 | 学制改革により高等学校を設置し、校名を横浜共立学園高等学部と改称。 |
1949(昭和24)年 | 東校舎落成。 |
1951(昭和26)年 | 私立学校法により学校法人に組織変更し、校名を横浜共立学園中学校、横浜共立学園高等学校と改称。創立80周年記念式。 |
1961(昭和36)年 | 創立90周年記念式。南校舎落成。 |
1969(昭和44)年 | 体育館(現存)落成。 |
1971(昭和46)年 | 創立100周年記念式。 |
1972(昭和47)年 | 山手214番館(旧スウェーデン領事館)を購入。 |
1981(昭和56)年 | 創立110周年記念式。 外人墓地に創立者クロスビーとピアソンの記念の墓標を設置。 |
1988(昭和63)年 | 本校舎が横浜市指定有形文化財第1号の指定を受ける。 |
1991(平成 3)年 | 創立120周年記念式。 「横浜共立学園120年の歩み」および写真集「横浜共立学園の120年」刊行、紀要創刊。 |
1992(平成 4)年 | 創立120周年記念特別教室棟(現東校舎)落成。 |
1995(平成 7)年 | 創立120周年記念中学校校舎(現東校舎)落成。 |
1997(平成 9)年 | 山手214番館(旧スウェーデン領事館)の保全改修。 |
1999(平成11)年 | 学校教育法の改正を機に中高一貫教育校(併設型)の認可を得る。 |
2001(平成13)年 | 創立130周年記念式。球技コート落成。 |
2002(平成14)年 | 創立130周年記念として「開校五拾年史」「帝国における四半世紀」〈−ミッションの日本の歩み〉復刻。 |
2004(平成16)年 | 創立130周年記念「横浜共立学園資料集」刊行。 |
2011(平成23)年 | 創立140周年記念「横浜共立学園の140年」刊行。 |
2018(平成30)年 | 創立150周年記念南校舎落成。 |
2019(令和 元)年 | 創立150周年記念本校舎保全改修。 |
2022(令和 4)年 | 創立150周年記念西校舎落成、グラウンドならびに外構整備。 |