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知識と知恵

横浜共立学園中学校 高等学校 校長 坂田雅雄
横浜共立学園中学校 高等学校
校長 坂田雅雄

「主を畏れることは知恵のはじめ」(旧約聖書 『箴言』1章7節)

 日本に来ていた外国人の留学生の言葉というのを聞いたことがあります。「日本では生きる手段は学べるが、生きる意味は学べない」という言葉でした。私はこの言葉に色々と考えさせられました。
 現代の価値観の中心は、学校教育では多くを学び、たくさんの知識をしっかりと得ることと考えられています。たしかに知識を発展させて今日の科学が成り立ち、そして今日のような物質文明の繁栄をもたらしています。そして現代の日本は、物も金もまあまあ満たされ、食べる物も溢れています。世界全体からみれば食料はかなり不足しているにもかかわらず、日本には食料があふれています。

 しかしその半面では、耐震偽装から始まる各種の偽装問題、賞味期限の不正、原材料の不当表示、ありとあらゆる所で不正や、偽装が横行し、責任者が、一斉に頭を下げている光景がおなじみになっているという、情けない状況が氾濫しています。
外から見ると立派で美しいマンションやホテルが、実は見えない部分に不正があり、地震がくれば倒壊するおそれがあるという実態は、日本の精神構造を象徴しているような気がします。たとえ中身はどうであっても、表面は綺麗に、美しくよそおうのです。
 しかし本当は逆のはずです。多くの場合見えないところの方が大切なのです。それなのに、とりあえず表向きだけ立派に、美しく見せることを学んできたのです。いつでも本当に考えなければならない問題は脇に置かれたままなのです。

 確かに経済的には日本は世界でも際立って発展している国になっています。しかし、そこには経済的発展を目指す以外の価値観があるのだろうかと疑問に思わざるを得ない状況が見られます。
 今の日本では誰もが、教育によって得た知識を総結集して「いかに要領よく生きるか」のみを追求しているに過ぎません。そこに人間の傲慢さが見えてきます。要領よく生きそこなったのが、偽装とかで暴露される事態となっているようなものです。うまく偽装し、暴露されないようにするのが、教育によって得た知識の総決算であるとするなら、それこそ身の毛もよだつ事態が起こりつつあると言わざるを得ません。

 「恐いものなし」という思想がどれほど人を傲慢にし、人間性を破壊しているかを感じます。経済的発展のみを目指して知識を得ようとしてきた日本人が、「いかに傲慢に生きているか」、驚くばかりです。もし「自分には恐いものなんか何もない」と思っている人がいたら、本当にそれで良いのか、まず考えて欲しいものだと思います。
 「生きる手段」というのはまさに「知識」を得ることのみに集中することです。「要領よく生きる」なども知識によって得られる生きるための様々な手段の一つです。

 それに対して「生きる意味」は知識ではなく知恵の領域です。いくら知識を積み重ねても、生きる意味は解りません。生きる意味は知識で得られるものではないからです。また本に書いてあるようなものではありません。自分で深く考えること、それこそ知恵なのです。

 旧約聖書の箴言の中に「主を畏れることは知恵のはじめ」との言葉があります。本当に人生を豊かに生きたいなら、それは「絶対者である神様を畏れることだ」と言うのです。
 「日本からは生きる手段は学べるが、生きる意味は学べない」という言葉は、言い換えれば「知識はあっても知恵が足りない」と言われているということです。宗教に無関心な日本の一般的な教育の欠点がみごとに暴露されています。知識を何に使うかは知恵や分別の領域なのです。

 人生を本当に豊かに生きるために、横浜共立学園における六年間の中学高等学校の生活の中で、「主を畏れることは知恵のはじめ」というこの聖書の言葉を深くあじわってほしいと思います。
(中学・高等学校 礼拝より)

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