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後期始業礼拝より

横浜共立学園中学校 高等学校 校長 坂田雅雄
横浜共立学園中学校 高等学校
校長 坂田雅雄


 夢を持つ、夢を語る、我々は日常生活の中に埋没しながら生活する中で、夢を持つ事の大切さをしばしば感じます。夢無くして人間は生きることが出来ないのではと思わされます。そして私たちは当然、夢がかなえられることを望みます。
 しかし、夢の実現には少し問題がある場合もあります。
 今から65年ほど前、アメリカの砂漠でマンハッタン計画という計画が進められていました。研究所従業員2万人のほぼ全員が、何を作っているか全く知らされていなかった、知っているのはわずか数名のトップの人だけであった、という工場があったのです。
 その研究所では、戦争終結のための夢の兵器として、原爆の研究が行われ、1945年7月初めて出来上がった原爆の実験が行われました。
 その実験直後、開発に携わった物理学者の中には、あまりの威力に驚き、実戦に使ってはならないと大統領や軍に進言した人もいたそうです。しかし最初の実験からわずか半月後、広島、長崎に原爆は投下され、数10万人もの人々を殺戮する結果となりました。
 しかもその後核兵器の開発は、アメリカ、ソ連(現在のロシア)を中心に進められ、現在地球に所有されている核兵器は、人類を20回全滅させることが出来るといいます。1回全滅したら後は無いはずですから、20回全滅等という言葉自体に全く意味がありません。戦争集結の夢の兵器のはずが、地球上のすべての生命を絶滅させる代物であったということになります。
 フロンガス、アスベストにしても同様です。人類が望んでいた夢の化学物質として登場したフロンガスは、確かに冷蔵庫だとか、クーラーだとか、果ては現在のハイテクを進歩させる原動力となり、我々の生活を考えられないほど豊かに快適にしてくれました。しかし、現実は、夢のフロンガスは大気中に放出されて、地球温暖化の原因になったり、上空オゾン層を破壊し紫外線が直接地表に達するようになるという、地球上の生物を絶滅に導く道を作ってしまったわけです。
 いったい夢の実現を目指す事の何処に問題があるのだろうか、と疑問になります。
 聖書が示す答えは、はっきりしています。
 第1の問題は、人が神に似せて作られただけなのに、分を超えて神と同じになろうとしている所に問題がある、と言うのです。創世記の初めから、人間の歴史はたえず、神になろうとしている姿を示しています。
 創世記3章4節「神のように善悪を知る者となりたい」と禁じられた木の実を食べてしまったことに始まり、それから聖書に登場するすべての人が、神になろうと思いあがっていく姿を示しています。
 創世記11章にはバベルの塔の話があります。人々はのぼせ上がって天にまでとどく塔を立てようとする話です。現代では遺伝子組み換えによる生物が造られていますが、環境や生物界全体にどんな影響を持つか、心配です。
 神になろうとする人間の夢はついにここまで来てしまったのか、と考えさせられます。
 神を畏れぬ行為、という言葉がありますが、先日無罪判決が出た郵便不正事件、捜査を指揮した大阪地検の主任検事が証拠として押収したフロッピーディスクのデータを書き換え、自分の組み立てたシナリオに合わせようという、まさに神を恐れぬ所業であると言わざるを得ません。幸い判決で無罪となったからよかったものの、実に危険な状況であると思いますね。冤罪の生み出される構造を見る思いがします。
まさに、自己の立場を過信し、自分はいったい何者なのか、それすらも見えなくなる傲慢の怖さといえます。

 さて、夢の実現を目指す事の何処に問題があるのか、聖書が示す第2の問題は、我々の夢は往々にして「自分中心の自己実現しか目指していない」ことにあると言えます。
 我々が求めている夢は、つまるところ自分の欲求に基づいている夢に過ぎないのであって、従って実現する場合も、それが自分の欲求を満足させる手段になるだけ、と言う問題点があるのです。
 戦争終結を願って原爆を開発し用いたが、それは自分の都合のよい方向へ戦争終結することを目指していたことは事実です。

 聖書は我々が目指す所をどこにすえるか、を明確に教えています。
 マタイによる福音書第6章31節以下を見ますと、「自分中心の自己実現しか目指していない」我々に、「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って思い悩むな。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と書かれています。まず自分中心の思いでなく、神の国と神の義を中心にしなさいと言っているのです。そこに新しい目が開かれます。そしてこの新しい目で見たとき、本当の夢とその実現を願う本当の希望が見えてくるのではないかと思います。
 2010年度の後期の授業が始まります。また学校行事も色々控えています。その中で私達は、何を目指すべきなのかを真剣に考えながら日々を過ごしたいと思います。

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