中学校入学式式辞より
聖 書 ルカによる福音書 10章25節~28節
ただ今氏名を呼ばれました185名の新入生の皆さんの、入学の許可を神と会衆の前で、改めまして宣言いたします。主イエス・キリストの父なる神に招かれました、185名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。横浜共立学園は、皆さんのご入学を心から歓迎いたします。
ご参列の保護者の皆様、ご入学おめでとうございます。横浜共立学園教職員一同、本日入学された生徒さん一人一人を、責任を持ってお預かりいたします。
皆様のお子さんは、今中学校に入学しました。小学校から中学校へという、人生の準備期間として、この時期は極めて重要な時期となります。これから多くの試行錯誤を繰り返しながら自立へと成長していくお子さんを、支え、見守られる、見識のある深いご両親の愛が、今までに引き続いて必要なのだと、本日は決意を新たにする時としていただきたいと願っています。
横浜共立学園の歴史につきましては、「入学のしおり」の中の「学園創立の精神」及び「本校の沿革」に記されていますが、日本のプロテスタントキリスト教学校の中でも非常に古い歴史をもっているのが横浜共立学園で、本年で創立137年になります。この学園の歴史の1ページに皆さんも加わったのです。
皆さんは横浜共立学園に入学してこれからたくさんのことを学ぼうとしているわけです。そして既に皆さんは沢山の新しい教科書を手にしたと思いますが、その教科書の中で、横浜共立学園が137年間、引き続いて最も大切にしている教科書、それが聖書です。
聖書は、3000年以上の歴史を持つ、人類の知恵の結晶といえる書物です。しかし、膨大な活字が並んでいるため、読みこなすのは大変ですが、その一つ一つの言葉や文章に非常に深い意味が込められています。
これから皆さんは多くの事柄を学ぼうとしているわけですが、世界の歴史、また西欧の文化、文学にしろ、絵画や音楽などの芸術にしろ、政治にしろ、深く理解するには、キリスト教の知識が無ければ、殆ど理解できないのです。
本校の教育の基本の柱は、キリスト教ですが、勿論キリスト教信仰を強制するものではありません。生きる意味を考えるための、重要な価値基準を、キリスト教に置いているということを、皆さんに理解していただきたいし、その価値基準に基づいて教育活動を行っているのが、キリスト教学校です。そのことに目を留めていただきたいと願っています。
聖書の言葉は、人が生きる指針の大事な柱として、学園が大切にしている教育の根幹です。皆さんの中には入学して初めてキリスト教に触れるという方々も多いと思います。
皆さんが入学するこの学園は、今から137年前の1871(明治4)年に、プライン、クロスビー、ピアソンという三人の女性宣教師、そしてその三人の女性宣教師を支える、多くの米国の女性達の祈りによって建てられた学校であることを決して忘れないでいただきたいと思います。
中学校に入学して、皆さんは多くの希望に燃えていることと思います。これから高等学校までの6年間は、皆さんの人生の基礎を築く大事なときです。
勉学も大事です。また体力をつけることも大事です。信頼出来る友を見出すことも大切です。出来る限りのことを学んでください。
そういう中で実は究極的に問いかけられることが「自分はどう生きるのか」という問いだと思います。日々の生活に追われそんなこと考える暇などない、堂々巡りの質問などには答えたくないと考える人も世の中には多いと思います。
時には立ち止まってしまうこともあります。時には思いもよらない困難や試練の時もあるでしょう。
そのような時何を大切に生きているかが問われるのではないでしょうか。
キリスト教は、人の存在理由を絶対的存在である聖書の神に求めます。
それは、世の中自分が中心なのではない、ということです。私たちはしばしば勘違いをして、すべて自分中心でなければ気がすまない、あるいは、自分の親しい人たちだけの世界であればよい、と思っている人も多くいます。
しかし、知らねばならないことは、自分の存在を超える絶対的な存在があって、自分は「生かされている存在なのだ」ということです。
旧約聖書の中の「箴言」(戒め)という箇所に次のように記されています。
「主を畏れることは知恵の初め」 こういう言葉です。
主とは神様のことです。神を「畏れる」とは、「神を知る」ということで、絶対者である神を知ったときの、畏れ、畏敬の念が、あらゆる知恵の中でもっとも初めに必要な知恵であるということです。
聖書にはまた「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉が記されています。横浜共立学園が最も大切にしている聖書の言葉の一つです。聖書のこの箇所の詳しい説明は、今後の礼拝や聖書の授業で学ぶと思いますので、今日は省略します。
「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とは、自分と同じように隣の人を大切にしなさい、ということです。
愛憎という言葉があるように、愛の反対語は憎しみと思われています。しかし「愛」の反対語は「憎しみではなく無関心である」と、マザー・テレサは指摘しています。
「いじめ」の中でも人に最も大きなダメージを与えるのは、「無視する」ことではないでしょうか。無視する、無関心を装う、これは「愛」とは全く反する、非人間的な行為なのです。
傍若無人という言葉をご存知でしょうか。「傍らに人無きがごとし」という意味です。
自分のことにしか、眼が注がれないし、周囲のことなど自分には一切関係ない、という振る舞いです。
以前NHKが行なった中高生の意識調査によりますと、「社会のことを考えるよりもまず自分のことを考える」という回答が75%に及んでいます。自分のことよりも社会のことを考えるという回答はわずかに18%でした。
私達の大多数が、人に仕えることより、人から仕えられることを求めて生きている、といえるのです。
「自分はどう生きるのか」と真剣に考える中で、忘れてはならないことは、人は一人で生きているのではないということです。だからこそ人は「自分中心で生きてはならない」ということなのです。
「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
一人一人は神様の不思議な導きでここに集まり、「隣人」となりました。「隣人」である「友達」を大切にする、それがこの「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という第一歩であると思います。この言葉の意味を深く考えていただきたいと願います。
また、中学校の生活は、まず何よりも「学校が好き」となることが大切です。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、何事であっても、好きなればこそ、飽きずに努力でき、その結果として遂にその道に巧みとなるのです。勉強でも、クラブ活動でも同じです。
これからの学園生活を、どうぞ心豊かに、そして楽しい学園生活を過ごしていただきたいと、心から願っております。
ご入学おめでとうございます。










