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多数者を優先する社会への疑問

横浜共立学園中学校 高等学校 校長 坂田雅雄
横浜共立学園中学校 高等学校
校長 坂田雅雄

 昨年の十二月、冬休みに入ってから中高生徒二十五人が、奥松島体験ネットワークに参加し、宮城県宮戸島月浜地区に出かけました。奥松島の人たちの復興にかける思いを伺い、奥松島縄文文化歴史資料館で歴史に触れ、更に小さな漁船に分乗して、ワカメの採取や、籠網での漁業を見学したり、色々と貴重な体験をさせていただきました。津波から少しずつ復興しつつある月浜地区、しかしまだ仮説住宅での生活を多くの方々が強いられている状況でした。
東日本大震災から二年九ヶ月経っているにも関わらず、復興は遅々として進まず、まだ始まったばかりという感じです。しかし日本全体では、地震や津波、さらに原発事故による放射能汚染の重要な問題から、なるべく目を逸らそう、逸らして欲しいとでも言いたげな動きや風潮があることを感じざるを得ません。

二〇世紀は「戦争と難民の世紀」と言われていましたが、二一世紀に入っても世界の状況は殆ど変わっていません。相変わらず戦争や紛争は世界の各地で起こり、多くの人々が難民生活を余儀なくされています。しかしこれは日本とは遠く離れた地域での出来事ではないのです。現在の日本でも、災害避難民という難民生活を強いられた人たち、故郷を奪われ何時戻れるかの見通しも立たない人たちがたくさんいるのです。仮設住宅を訪問しながら、生活の場を奪われるとはどういうことなのかを痛切に感じとることができました。日本全体から見たら少数の人たちかもしれません。しかしそのことが実は大きな問題なのではないでしょうか。

多数を優先する社会、私たちは多数決は正しいと思い込んでいます。しかし国政選挙の結果は、本当に多数決の論理が生かされていると言い切れるのでしょうか。選挙制度の仕組みの問題で、決して国民総意の結果とは言い難いと思います。その上裁判にもなっている一票の格差の問題も解決はしておりません。先の選挙の場合、全有権者でみれば自民党の得票率は小選挙区で二十四%、比例代表は十五%でした。つまり四分の一以下の民意しか得ていないにも関わらず、議席は過半数という状況なのです。これは多数決の原則から言えば異常事態です。しかもその多数決になっていない議員集団の議会では、多数派が絶対的な力を持ち、多数決が優先され、強者の論理がまかり通り、弱者無視、弱者切り捨てということになっています。本来多数決というものは、少数派を無視しても良い、踏みにじっても良いということではないのです。少数派を尊重し、少数の意見に耳を傾けてこそ、多数決に意味があることではないのでしょうか。

旧約聖書の申命記には、イスラエルの神が、イスラエルの民をなぜ選んだのかが記されています。
「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。」
(旧約聖書申命記七章 口語訳)
神は少数である民を見捨てられないばかりか、最も大事にされるのです。そしてキリスト教では基本的に、少数者、弱者に心を寄せるということが大切にされています。福音書に記されている迷いでた一匹の羊の喩え話も、残った九九匹を大事にするという数の論理ではなく、迷いでた一匹に全精力を傾けるということです。
「あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。」
(新約聖書マタイによる福音書一八章 口語訳)

多数決ではない選挙の結果当選した多数派が、今度は多数決を乱用するというような矛盾、復興に予算を多く取る必要があるのに、戦争ができる国への変革に費やす予算、あまりにも自分たちの現実から遠く離れた世界で、自分たちの将来が決められていってしまう、そのような、一貫性に欠け、矛盾だらけの社会や政治は、若い人たちの希望を失わさせ、ますます政治に対する無関心に向かわせるのは当然の帰結だと言わざるを得ません。
このような社会環境の中で、どのように生徒や若い人たちを育てたらよいのか、それが現在の教育界の最大の課題であろうと思うところです。

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